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幸來の日常など 『幸せを運ぶあっさり中華』

   

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誰にも話したことなかったのですが!

「中華でありながらあっさり仕上げの料理を提供する店」
     
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 こんにちは「中国旬菜坊 幸來」の村上順二です。

 誰にも話したことなかったのですが!

この先、もっとあなたと 中国旬菜坊 幸來 の信頼関係を深めたく
 お話しする決意をいたしました。
 
実は、私は、田舎の素朴で経済的に豊ではない家系育ち
4人の兄弟で長女の姉、男が3人のその真ん中に生まれ。

 姉は長女として、兄は長男として、弟は末っ子として、可愛がられたと思います。
今だから話しますが私はどちらにもつかずのような気がします。
 
子供の頃は、日が暮れるまで学校の宿題もせず遊ぶわんぱく者!


勉強のことでさほど言われた記憶ありません
 
遊びでも集中したことは半端でなく活発で食欲は旺盛!


食べ物は、現代のように自由にあったわけではありません。
 
おやつが欲しければ、自分で作る
小麦粉に塩と砂糖を加えて水溶きしただけの物をフライパンで焼く、

子供の頃の、好物の一つのおやつ、しっとりとした生地に甘みが加わって
美味かった。今でも忘れない味!

今再現すればどう感じるかは微妙ですけど?


 
 食べ物に関しては好き嫌いなく、カレーライスはご馳走

今思えば食べ盛りの子供が多いため、いわゆる水増しカレー
正規ルーの量より多く作ろうとする為、ゆるく固まり切れないため小麦粉を溶いて
仕上げのつなぎの固さを調整するといった具合

盛り付けて自分好みの味に足りない分は醤油やソースをかけて
それで充分美味しかった。

とりわけ農家ですので野菜と米はありました。

 
 
成長していくに連れ
子供心にうらやましく思う時期、
姉や兄のように新品がほしい!

洋服も学校の必要な道具や工具も兄のお下がり

私の同級生の男は、長男しかいません当然、新品の洋服、新品の道具
欲しい物は、ひとつ返事で与えられるような同級生がいたのも事実。

行くたびに新しいゲームなど自分にないものを見せる同級生がいた
 

数年が過ぎ3歳の年の差がある兄に、身長と共に体重も追いつき
兄のお古では着る事ができなくなり母ちゃんは困ったと思います。

私に対する転期!
親戚のおばさんが、お盆に自分たち兄弟にTシャツを同じサイズの色違いを買ってきてくれた。
そのとき初めて、自分にも新品の権限が発生した

兄のお古を着るのも卒業!!
しかも確か私に選ばせてくれた、どの色に選ぶ喜びよりも、新品が嬉しく何度も洋服が破れるまで
時には洗濯したばかり乾いていないにもかかわらず着るくらい嬉しかった。


集中根気はこの頃から
そんな自分も中学この頃、何かに取り付かれたように、壊れたバイクがあると、
夜も寝ずに治して(オーバーホール)ひとつの事に集中の子供でした。

今の時代でしたら問題です。
遠い昔の事でしたので許されたこと
その時の癖かもしれません、今でも寝ずに物事をすることは頻繁にあります。


話が変わって、兄弟のなかでも自分がよく、畑や田んぼを手伝っていたと思います。
祖父母がいなく両親が生活のために一生懸命に家族を養おうとしている
姿を子供の頃から受け止めていた私には生活の一部だったのかもしれません!
 

本当は人に話せないことなのですが?
今さら隠してもしょうがないので話します。
自分が中学になると、現在では考えられない事、当時の我が家では、
当たり前に行われていた事実

今は亡き母が、
学校から帰って来る私に大きなカレンダーの裏や
チラシの裏の白紙部分に何処の畑にいるから来てほしいと言う指示です。
 


母ちゃんは週に1~3回の感覚で収穫した野菜を町に行商(自家野菜売り)に行って家計の足しに
当時近辺では、(母が青物売りは当たり前の光景)
 

話しを元に戻し自動車を運転できない母ちゃんは収穫物を運ぶ手段は一輪車

私は遊びで覚えた車の運転で、野菜のザルを自動車に積んで母の収穫済みの野菜を集め、家に運ぶ事が当たり前の日常となっていた

運んだ野菜を母は洗って、袋に詰める、束ねる品物と荷造りする姿が思い浮かぶ。

翌日の早朝5時に出かけるので前日に用意するのが当たり前


姉も兄も高校の部活で帰りが遅かった?
私が早く家に帰るのは暗黙の了解!
当たり前のことになっておりました。

私の人生の最大の交差点

進路の話し、クラスでも後ろから数えたほうが早い成績

しかも、担任の先生に、お前の現状の成績では、滑り止めの〇〇高校、そうでなければ
金沢をまたいで通わなければならない〇〇〇〇高校!しか無理と言われて

目的もなく中途半端に
高校へ行くなら、早く働いて、自分の身に職を持つと言う意思を早くから持っていた

家の家計の厳しいのもわかっていた

昔から学校で学ぶ勉強が得意でない私は、意外と早くあっさりと決めてしまいました。
何の職に就くかまでは決めていませんでした!

「結局、知人の東京の住み込み寮生活」丁稚奉公のような感じで東京に一人上京、
料理の世界に飛び込みました。

 
東京の大衆中華料理店、それに宴会、出張パーテーまで携る会社に入り
当然ながら下済み修行から始まります。
現代の人には、考えられないほどの労働時間、
さらに仕事に対しての厳しい先輩たちの
ねぎらいをしっかり授かる
その頃の経験が今の糧となっているのは言うまでもありません。


最初の配属は工場部門です。
餃子の皮から製麺まで一括、さらに食肉は、豚肉も一頭を半分に切り分けただけのものを問屋から仕入れて
自社工場で骨からはずし切りわけ、様々な用途に分ける。工場での修行です。

毎日、まず製麺作り、さらに餃子の具を作る為の白菜のカットから始まりあんこの仕上げまですべて工場部門

餃子、シュウマイ、味噌ラーメン用の味噌、手作り用の餃子の皮、それに精肉と、全店の使用分を一括で製造します。
その責任者である工場長を2年間経て



店舗ではホール、惣菜売り場、それぞれの支店によっては、配達(出前)もあり、すべて経験を積んで
初めて調理作業へと進める方針の会社
そこからが本当の修行の始まりでもありました。


様々なポジションや経験を積み、人事異動を重ねた後、各店舗を含めて、店長を5年歴任

その後、宴会、出張パーテー部門を5年の期間を経て
念願の
石川県に戻り、始めて野々市に店をオープンしたのが昭和637月で私が30歳の時

屋号の由来と毎日の想い
「幸來」=幸せが来る!幸來にたずさわるすべての人に願いと想いを込めています。
私は、人は食べたいものを食べるときが幸せと思っていますので。喜んで頂けるように
一品一品に想いを込めて調理しております。

ひと時の間でも幸せを感じていただければ、それが私達の幸せにつながると思って 
今も変わらず想いを込めた調理及びお店創りをしております。


過ぎてしまえば早く感じます。野々市の店では17
年間
たくさんの方に支えられて現在があることを、大変感謝しております。



平成17年1月に金沢市額新保の現在の場所に移転。

ランチタイムには、「主婦のほんの一時の憩の場として友達を誘って」気軽に食事をしながら、くつろげる空間でありたい、夜には、「ファミリーが飲食を同時に楽しめる」「仕事の仲間」「気の合った友達同士」「女性グループのおしゃべり仲間」「カップル」とさまざまな用途に応じて利用ができますように、個室から、ボックス席、カウンター席を設けました。

お客様が「飲んで食べて楽しめる空間」そんな店にしたいと決意して、移転リニューアルオープンしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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